えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン 上越妙高で春を拾う(令和2年)

えちごトキめき鉄道は、平成27年3月14日の北陸新幹線 長野−金沢間開業に伴い、信越本線 妙高高原−直江津間と北陸本線 直江津−市振間がJRから経営分離し誕生した第三セクターの鉄道線で、妙高はねうまライン(旧信越本線)と日本海ひすいライン(旧北陸本線)の2路線を運営しています。
妙高はねうまラインは全線が直流電化されており、ET127系電車が活躍しております。 ET127系は、開業時にJR東日本新潟支社が保有していたE127系電車(0番台)2両編成10本を改修を受けた上で譲受された車両です。
令和2年4月4日、妙高はねうまライン上越妙高駅近郊 上越妙高−北新井間で撮影しました。
令和2年は、新年早々から中国の湖北省武漢でみつかった新型コロナウイルスのニュースが連日報道され、その後イタリアでの猛威が報道されました。 日本は、1月に、東京の屋形船で開催された新年会の参加者が新型コロナウイルスに感染したことに始まり、あっという間に感染が全国に広まりました。 手洗い・消毒の徹底、マスクの着用、三密の回避、不要不急の外出等国民への呼びかけが連日報道されるようになりました。 店頭からマスクが消え、また、SNSによるデマで、トイレットペーパーやティッシュペーパーが、店頭から消えました。 追い打ちをかけたのが、3月29日に志村けんさんが新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎の為に死去したというニュースでした。 4月23日には、岡江久美子さんが新型コロナウイルス肺炎のため、死去しました。 先が見えない新型コロナウイルスの恐怖で震え上がった時期でした。 この当時勤務していた会社も、政府の要請を受けて、4月2日から在宅勤務に切り替わり、パソコンの前でくぎ付けの業務となる悪夢の日々が始まりました。 しかし、自分の仕事は、公的機関が認めた必要業務と位置付けられ、新型コロナウイルスが猛威を振るう中でも出張は中止にならず続きました。
令和2年4月4日、上越市での仕事を終えた後、帰りの北陸新幹線の待ち時間を利用して、妙高はねうまラインを撮影しました。 この時期、新幹線は一車両数人しか乗車しておらず、駅のコンコースは閑散としており、駅構内は多くの店が休業状態でした。

 
北新井−上越妙高

上越妙高−北新井(下は後追い撮影)

北新井−上越妙高

さらに後追い撮影 上越妙高駅に到着 上越妙高−北新井
上越妙高駅は北陸新幹線停車駅です

スイセンを入れて撮影 上越妙高−北新井

スイセンを入れて撮影 こちらはボリュームがありました 上越妙高−北新井<

残雪の山々をバックに撮影 上越妙高−北新井

桜を入れて撮影 上越妙高−北新井

さらに後追い撮影 上越妙高−北新井



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